歯車族バトン
2018/12/07
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TOKYO BASE社長 谷「確実性と挑戦の絶妙なバランス」3- ウブロに学ぶブランディングとラグジュアリー

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第3回「ウブロに学ぶブランディングとラグジュアリー」

広田:谷さんのビジネスモデルは、時計産業に近いと思うんですよ。時計は基本的には分業体制で、ブランドの多くは各パーツメーカーの製品をパッケージングしています。セレクトショップも、同じ製品でも付加価値をつけ、差別化を図るという点で通じます。

谷:じつは僕の曽祖父が京都の小さな呉服屋から浜松にあった百貨店を創業しました。親族も百貨店系で、僕にもその血筋というか、ひとつの場所に色んなものを集めるという感覚が刷り込まれているように感じます。

広田:その中でオリジナルを手がけるようになるというのは、それこそウブロがマニュファクチュールになったのと同様に思います。たとえばブヘラというブランドももともと時計販売店で、いわゆるセレクトショップでした。それが技術的なノウハウを積み、さらに店頭でのニーズを汲み取ってオリジナルブランドを立ち上げました。こうしたマーケットに対してうまくアジャストして業態を変えたり、お客さんの声から軌道修正していくという点は、谷さんの仕事にも通じるのではないでしょうか。

谷:そうかもしれませんね。ファッションの世界では、ブランド10年、お店30年と言われたりします。トレンドも変化し、ざっくり12年周期ぐらいで変わっていきます。そうなった時に100年続く企業を作るのはなかなか難しい。その中で僕らがやっているオリジナルブランドは、程よくトレンドを入れながら、カジュアルとモードという大枠だけを押さえる。トレンドの要素を入れながらも振り切り過ぎないように考えています。

広田:ウブロを選択されるのは、本当にそういうことでしょうね。ウブロのブランディングやマーティングで参考になったことはありますか。

谷:異業種のスポーツイベントなどを幅広くスポンサードする一方で、プロモーションでは既納ユーザーやファンの満足度を上げる。最近インフルエンサーとかいますけど、うちは彼らにアプローチすることはほとんどなく、芸能人でもモデルさんでもプライベートでちゃんと買ってくれる人を大切にし、そこから関係が生まれます。もうひとつは、いま日本のファッションにはラグジュアリーブランドがないのですが、それを作るヒントがウブロにあると思っています。

広田:まず何が足りないのでしょうね。

谷:モノまでしかデザインができていないことでしょうか。売り方やユーザーのライフスタイルまで設計しない限りは、なかなかブランドは作れません。また右肩上がりという前提で商売するのではなく、どうやって需要を創造するか。日本だけではなくて世界を見据えることも必要でしょう。たとえば韓国のブランドは、自国のマーケットが狭いのでいきなり世界からスタートする。それぞれの市場に必要な最低限の技術だけを入れ、それ以上にデザインを重視します。そういう部分は、日本のラグジュアリーブランドを作る上で重要なのかなと思いますね。

広田:時計でもグランドセイコーは、プレミアムやラグジュアリーに向かいつつあり、メイド・イン・ジャパンを強く打ち出しています。そしてプロダクトだけじゃなくて、入口から出口まで一貫して整えようとしているんですよね。それもシンクロしていて興味深い。

谷:世界で戦っていくブランドは、全部完璧でなくても圧倒的な強みがひとつあったらそこで勝負できますから。日本の風土や文化的な背景も、ブランド戦略をする上で変えていかなきゃいけないなと感じますね。

 

取材・構成 柴田 充
写真 奥山栄一

次回は、歯車族、谷正人の未来のヴィンテージを楽しみ、つなげていくをご紹介いたします。

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広田雅将さん

広田 雅将
Masayuki Hirota

時計ジャーナリスト・時計専門誌『Chronos日本版』編集長

1974年大阪府生まれ。会社員を経て、時計専門誌クロノス日本版編集長。国内外の時計賞で審査員を務める。監修に『100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』『続・100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』(東京カレンダー刊)が、共著に『ジャパン・メイド トゥールビヨン』(日刊工業新聞刊)『アイコニックピースの肖像 名機30』などがある。時計界では“博士”の愛称で親しまれており、時計に関する知識は業界でもトップクラス。英国時計学会会員。

谷 正人さん

谷 正人
Masato Tani

TOKYO BASE代表取締役CEO

1983年生まれ、静岡県浜松市出身。中央大学商学部卒業後、2006年に(株)デイトナインターナショナルに入社。翌年事業部長としてSTUDIOUS業態を立上げて、2009年には同社STUDIOUS事業部 事業部長を経て退職、MBOにて独立。2009年に(株)STUDIOUS 代表取締役として事業開始。2015年3月新業態UNITED TOKYOを立ち上げ、同年9月アパレル業界史上最年少で東京証券取引所マザーズ市場に上場を果たす。2016年6月、株式会社STUDIOUSから株式会社TOKYO BASEへ商号変更。2017年2月に東京証券取引所第一部へ上場市場変更。2018年3月新業態PUBLIC TOKYOを立ち上げる。現在に至る。

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