第3回「選ぶ時計から見えてくること」
時計はビジネスをうまく進めるための有効なツールでもあると思う
――時計に興味を持ったのはどのようなきっかけからでしょう。
「23歳の頃、ジュネーブに留学していました。ジュネーブは時計の街ということもあり、日本から来る方を時計店に連れていく機会も増えて、時計というものについて考えさせられようになりました。ある時、日本から来た人がクオーツを手に『これはまったく狂わない。機械式とは違うんだ』と言うから、偉い方でしたが『だから何なのですか』と言ってしまったんですよ(笑)。生意気だって怒られましたけれど」。
――その根拠というのはなんだったのですか。
「だってそうじゃないですか。技術がいくら進歩しても、機械式時計は未だにあるということは、機能を超えてアートになったということではないでしょうか。日本にも優れた時計の技術はありますが、その魅力に至るのはまだ限られているように思います。クルマでも電気自動車は今後の主流だけれど、僕は買わないと思います。やっぱりエンジンのクルマを運転する楽しさを知っていますから。モノ作りについてはソニー時代から一体どのようにデジタルに対処すべきかと考えてきましたが、その基本となる考えはやっぱりヨーロッパでの10年間の生活で培われたのです」。
――その海外では腕時計は社会的にどういう位置付けなのでしょう。地位や肩書きであり、TPOに合わせたスタイルのひとつ?
「たとえば金融系ビジネスマンでも1億円くらいする時計をつけ、バーで飲んでいると、この時計に寄ってくる人がいて、そこからビジネスが始まるなんてことがあります。時計は、ひとつの職業におけるステイタスシンボルなのでしょう。普通のサラリーマンが20万円得るのに一生懸命働くのに対し、ひとつのディーリングで何百万円とか何千万円とか稼ぐわけです。そういう人たちが”それだけの力を持っている”と誇示するサインであり、ビジネスをうまく進めるための有効なツールでもあります。それだけでなく、着けている時計を見れば、性格や嗜好もすぐわかりますよね」。
――とくにスイスで実感した時計のあり方とは?
「毎年、バーゼルとジュネーブで時計展示会がありますよね。時計という産業は凄いなと思います。有名ブランドだけでなく、中小メーカーやパーツだけ作っている会社があって、本当に一つひとつ手作りしているものもあります。そういうのを見ると、70年代に時計がクオーツ化した段階で途端に機械式を諦めてしまった日本と、国をあげて頑張っているスイスでは、国民性が全く違うなと思いがあります」。
――時計に感じている魅力は、そうしたモノ作りの原点的なことですか。
「そうですね。本当は時計はいらないんですよ。時間を見ようと思えば、携帯やタブレットPCで十分ですから。しかし時計は、時間を知るだけじゃなく、思い出を作っているような感じがするんです。そういう気持ちで時計を使っている人は多いんじゃないかと思います。スマートウォッチは時計じゃなく、情報ツールでしょう。スマホやタブレットもあるのに、さらに腕に着ける意味がわからない。周りの若手は着けているけれど、僕は絶対いらないです。だって全然アートじゃないから」。
取材・構成 柴田充
写真 奥山栄一