WORLD WATCH FAIR
2018/08/06
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【WWF2018】ワールドウオッチフェア×ヒコ・みづのジュエリーカレッジ 「未来の時計師たち」 VOL.1

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2018年も新作や名作を一堂に集めた、日本最大級の時計の祭典「第21回 三越ワールドウオッチフェア」を8月15日[水]〜27日[月] にて開催いたします。
期間中に行われる、専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ ウオッチメーカーコースとの共同イベントも、今年で4回目。今回は時計製作研究生の卒業製作作品の展示や、時計分解体験なども行われる予定です。ワールドウオッチフェア目前、ヒコ・みづのジュエリーカレッジを訪ねました。


第1回 ヒコ・みづのジュエリーカレッジ 次世代の時計師を訪ねて

時計は、人生の歴史を共に刻む、パートナーとも呼べる存在。
ずっと愛用し続けるためには定期的なオーバーホール、修理などのメンテナンスは欠かすことはできません。それらを行うのが時計修理技術者と呼ばれる人々であり、また近年では時計メーカーに所属せずに活躍する、独立時計師の作品に多くの時計愛好家たちが注目をしています。それら時計技術者たちを養成する学校が日本には数校あり、日本橋三越本店では未来の時計師たちを応援しています。

渋谷駅から徒歩10分ほど、豊かな緑に囲まれた一角に、ヒコ・みづのジュエリーカレッジはあります。
ヒコ・みづのジュエリーカレッジは、1997年に時計業界からの要請に応えるかたちで、ウオッチコースを開講。当時、戦前戦後から携わっていた時計師たちが高齢化を迎え、時計師が不足し、次世代の育成が必要だったからだとか。それから22年、卒業生はおよそ1000人を超え、いまでは中国、韓国、ロシアなど海外からの留学生も多く在籍しています。
「実は私自身もヒコ・みづのジュエリーカレッジの卒業生です」とウオッチコース シニアディレクターの大友宏幸先生。卒業後、スイスの時計学校に留学し、現在は母校で教鞭を執られています。「年々、女性や留学生の入学者が増えてきました」と時計師へ関心を寄せる人々の層の広がりを教えてくれました。


専門学校ヒコ・みづのジュエリーカレッジ
1966年ヒコ・みづの宝石デザイン学校として設立。1997年には日本時計輸入協会の認定を受け、ウォッチメーカーコースを開設。現在では2年制のウオッチメーカーコース、3年制のウオッチメーカーマスターコース、1年制夜間のキャリアスクールウオッチメーカーコースを開講し、これまでに1000人以上の卒業生を輩出している。またここ4年連続で就職率100%を達成するなど、日本の時計業界がヒコ・みづのに寄せる期待の高さがうかがえます。ウオッチコースをはじめ、ジュエリーコース、シューズコース、バッグコースもあります。


次世代の時計師を育成する、時計製作研究生制度

ウオッチメーカーコースの授業の様子を拝見すると、学生たちは白衣に時計用ルーペ(きずみ)を着けて、各々が時計に向かって真剣に作業に打ち込んでいました。国家資格「時計修理技能士検定」は、通常実務経験がないと受験資格を得ることができないのですが、ここでは実務経験が免除され、1年生で3級受験、合格後2級の取得チャレンジができるため、卒業後、即実践に活かせることもあって皆さんの熱意に驚かされます。

その後、大友先生が案内してくださった学校の一室には、時計製作研修生として学んでいる北垣修さんと小林昌博さんの姿がありました。2人は3年制のウオッチメーカーコースで時計修理を学んだ後、時計製作研究生制度を使って研修生へと進学。研修生は、構想から企画、デザインまでの時計製作をすべてひとりで行って、1年を掛けて、世界でたったひとつの時計を作り上げていきます。


時計との出会いがキャリアチェンジのきっかけ

現在、北垣さんは40代、小林さんは30代というキャリアチェンジ組。以前は北垣さんが建設業、小林さんは工作機械の会社でのキャリアを積んでいく中で、以前から興味があったという時計師の道を目指すため、ヒコ・みづのへの入学を決意したといいます。きっかけは、北垣さんは時計に直に触れる体験入学、小林さんはたまたま目にした新聞記事だったといいます。「独立時計師の菊野昌宏先生のコラムを読んだんです。日本にこんな凄い人がいるということを知り、自分にもできたら、と思ったのがきっかけです」。

海外の時計学校では、十代の半ばで入学する人が多く、時計師へのスタートが早いのに対して、日本は北垣さんや小林さんのようなセカンドキャリア組が珍しくありません。2人が尊敬する、世界にもその名を知られる独立時計師の菊野昌宏さんも、実は2008年度のヒコ・みづの卒業生でセカンドキャリア組。現在は独立時計師として活躍しながら研修生への指導もされています。「菊野先生も、入学時には機械式時計について知識のない状態から、勉強を始められたと聞きました。いまでは素晴らしい活躍をされているということが励みになります」と小林さんは語ります。
時計師への道は奥深く、また技術力だけではなく芸術的センス、発想力など幅広い技術や経験が活きる仕事です。それゆえに第二のステージとしてチャレンジする人も多く、またそれを受け入れる土壌が日本の時計業界にはあると言います。
そしてここには、時計ブランドのサービスセンターや修理工房で活躍し、日本の時計文化を支えている卒業生との出会いも多くあるのが魅力と言います。


工作機械を使って作業中の北垣さん。「機械を使うこと自体が初めての経験ですから、一から覚えていく大変さがあります」と語ります。図面の書き方などもゼロから学んだとか。自宅でもPCを使った作業に打ち込み、一日中時計のことを考える日々。「ゼロからスタートした時計製作ですから毎日ヒヤヒヤしていますが、毎日新しい発見があり、自分の成長を実感できています」。

Text by Chisa
Photography by Yasutsugu Fukui

 

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