フルキャストホールディングス
取締役会長 平野岳史
人材サービス最大手である、株式会社フルキャストホールディングスの創業者。小学3年生の時に父を亡くし、母子家庭で育つ。大学を卒業後は就職するも3年で退職。その後はフリーターを経て、前身であるリゾートワールドを創業したのは29歳のとき。その2年後にフルキャストへ社名を変更し、軽作業の請負事業をスタート。平野自身が軽作業の登録スタッフとして働いて、業界へのサービスを研究。それまでの軽作業への人の派遣は「いい加減」という印象を払拭させた。また翌週払いが慣例だった登録スタッフの給与を即日払いにしたり、作業現場に遅刻しないようにモーニングコールしたり、派遣先の信頼感を高めた結果、ピーク時の売上高は1000億円の大台に乗せるほど急成長を果たした。
第1回「時計は自己主張。それも少しひねった」
広田:平野さんは趣味が多彩ですが、とくにスポーツ系が中心の印象だったので、時計コレクターと聞いて正直意外でした。
平野: 私はいわゆるコレクターではないと思っています。ただ時計への憧れもあり、「こういう時計を身に着けたいな」というものを増やしていったという感じです。
広田: 最初に手に入れた時計は何でしょう。
平野: ロレックスの「デイトナ」のコンビが初めて自分のお金で買った、いわゆる高級時計ですね。33歳になっていたかな。それまで時計やクルマへの投資は、自分には身分不相応だなと思っていましたが、なんとか仕事も軌道に乗り、自分へのご褒美として購入しました。
広田: そこから時計への扉が開いた、と。以降、思い出深いものでは。
平野: セイコーの「ガランテ」で、森田恭通さんがデザインされた20本限定モデルです。森田さんとはまったく面識がなく、ニューヨークで偶然会った時にたまたまこの時計をしていたんですよ。「その時計をされている方とは生まれて初めて会いました」とおっしゃっていただいて。時計ってこういう出会いがあるんだなとその時思いましたね。
広田: 時計はひとつのツールではあるけれど、共通の話題になったり、人の輪を広げるきっかけになりますよね。やはりスポーティなものがお好きなのでしょうか。
平野: そうですね。でもフォーマルな場にいく時などは、あんまり目立たないティファニーの「イースト ウエスト」を着けます。
広田: うーん。それも少しずつひねっていらっしゃいますね。ありきたりのものを選ばない(笑)
平野: もしかしたら、自分なりの自己主張なのかもしれないですね。ありきたりじゃないものを選びたい自分がいる。普段はビジネスシーンが圧倒的に多いので、そうするとスーツや靴はある程度オーソドックスなものを選びますが、いわゆる女性目線で見ると「男の人のスーツってどれもこれも一緒よね」となるじゃないですか。男の場合、生地の違いだとか細かいことにこだわって、それがお洒落とかになるんですけど、多くの女性にとっては同じ。結局、個性を出せるのはネクタイか時計という選択肢になります。それで結局、シーンに合わせて、自分はこういうものが好きなんだということを表せる時計を選ぶようになったんですね。
広田: それにしてもバイタリティを感じさせる時計でも、過剰なものを選ばない。ベースはカッチリしたものを選ばれているなと思いました。「デイトナ」にしても、「ガランテ」にしても。手堅くやりつつ、それを意識させず、ぶらしていくような印象です。
平野: でもシャネルの「J12」なんかはダイヤ巻きですよ。
広田: いや、それもやっぱりセラミックだし、デザインは王道です。
平野: 確かに実用時計ですね、着けたままプールに入ったり、海に飛び込んだりしてますから。
広田: やっぱりひねった選択ですね。
平野: 人間がひねくれているんで(笑)。多分「俺は平野だー」と言いたいんだと思いますよ。時計を通じて。
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広田 雅将
Masayuki Hirota
時計ジャーナリスト・時計専門誌『Chronos日本版』編集長
1974年大阪府生まれ。会社員を経て、時計専門誌クロノス日本版編集長。国内外の時計賞で審査員を務める。監修に『100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』『続・100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』(東京カレンダー刊)が、共著に『ジャパン・メイド トゥールビヨン』(日刊工業新聞刊)『アイコニックピースの肖像 名機30』などがある。時計界では“博士”の愛称で親しまれており、時計に関する知識は業界でもトップクラス。英国時計学会会員。
平野岳史
Takehito Hirano
フルキャストホールディングス 取締役会長
1961年神奈川県生まれ。神奈川大学経済学部卒業後、金融関係の会社に就職したが3年で退職。その後アルバイト生活を送るが、87年に家庭教師の派遣ビジネスで起業。92年に株式会社フルキャストを設立し、軽作業請負事業を開始。04年9月東証一部上場。その後は取締役会長に就任し現在に至る。