歯車族バトン
2018/08/24
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リストグループ代表 北見「果敢に挑む男が選ぶ時計」3- 新進ブランドに重ねる、持続性あるビジネスの形

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第3回「新進ブランドに重ねる、持続性あるビジネスの形」

広田:不動産業でもいろいろなスタイルがありますが、持続性あるビジネスケースを考えている人って段々少なくなっている気がするんですよね。地域を発展させるし、うちも儲かるみたいな。北見さんの場合、街の不動産屋さんの延長線上として、サステナブルに考えていらっしゃるように思います。

北見:地域に密着しながら地域を発展させるというのが、我々の会社の方針でもあります。関わるからには、その地域をアクティブにしていきたいと思います。

広田:たとえば高級時計ブランドというのは持続性をとても大切にします。恐らくその点でも、集められた時計は重なるのではないですか。

北見:そうかもしれませんね。振り返ってみて、40歳前半ぐらいからそうした時計に目がいくようになったというのは、大きい開発を通して街を全体的に見た時の印象に共通したように思います。私たちの仕事は、ただ普通のものを普通に売買するのじゃなく、価値をどうやって見出していくか。それは時計も変わらないように思います。ディべロップして、それに対して価値を分かってくれる方に買っていただく。これが私たちの仕事のやり方ですから。

広田:街を栄えさせ、その中で一緒に儲かっていくというスタンスですね。持続性によって価値を持たせるという北見さんの姿勢から、リシャール・ミルやフランク ミュラーといった新しいブランドにシンパシーを感じるのはよく分かります。

日本橋三越本店 時計サロンで北見さんが目に留めた、フランク ミュラー「ヴァンガード トゥールビヨン」。

北見:それに加えて、自分にはまだ“突っ込まなきゃいけない”という思いがあるのかもしれません。不動産業界も今までは人口も多かったので住宅も好調だったんですが、僕が45歳ぐらいの時に、今後は人口も少なくなることをふと思ったんですよね。これは違うことを考えないと潰れるなと真剣に思いました。そこからアクティブにいこうと思った瞬間、より個性的な新進ブランドの時計を選んだのかもしれないですね。

広田:今までの不動産屋じゃダメだ、変えようと。そのマインドの変化は大きいですね。どう変わったのですか。

北見:国内も国外も国境もなくして、価値があるものを価値の分かる方にきちっと提供しようと考えました。これまでだと例えばフィリピンの不動産を扱っても、後に売りたいといわれても国内だけではまず売れません。ハワイもそう。現地でまたエージェントを別に使わなきゃならず、結局、売りっぱなしです。そこで私たちは現地の体制を整え、海外の不動産を日本のお客様に販売し、もし売りたいと言われた時には現地を中心に販売し、売り上げも現地に還元する。この仕組みを今後さらに世界に展開するのが我々の目的ですね。

広田:そんなチャレンジ精神が時計に反映するというのも興味深いですね。成長を続ける上で大切なことは何でしょう。

北見:どこに行っても通用する人間にならなきゃいけないということが一番必要なんじゃないですか。例えば、現地の不動産屋でそこで儲けるだけなら誰でもできる。でもそれがどこに行っても通用する不動産屋ってなかなかいないんですよね。そんな会社にしたいなと。そうすると俄然面白くなりましたね。

広田:根底では、北見さんが手掛けることで街自体の価値を上げていくことに通じますね。

北見:それが直に見えるのがすごく面白いですし、アクティブにやっていこうと考えたのは、やっぱりその充実感を得るためかもしれないですね。

 

次回は、歯車族、北見尚之のまだまだダイバーズウォッチを着ける自分でいたいをご紹介いたします。

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広田雅将さん

広田 雅将
Masayuki Hirota

時計ジャーナリスト・時計専門誌『Chronos日本版』編集長

1974年大阪府生まれ。会社員を経て、時計専門誌クロノス日本版編集長。国内外の時計賞で審査員を務める。監修に『100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』『続・100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』(東京カレンダー刊)が、共著に『ジャパン・メイド トゥールビヨン』(日刊工業新聞刊)『アイコニックピースの肖像 名機30』などがある。時計界では“博士”の愛称で親しまれており、時計に関する知識は業界でもトップクラス。英国時計学会会員。

北見 尚之さん

北見 尚之
Hisashi Kitami

リストグループ 代表

1965年、神奈川県生まれ。専門学校在学中に大手企業の社長と出会い、企画開発担当として支店の開発を任される。支店とする物件を探す中で、不動産業界の在り方に疑問を感じて、その後を見据えて大手不動産会社へ転職をして営業としての経験を積む。1991年25歳の時に、リスト株式会社を設立して不動産仲介事業を開始。ビルマネジメント、一戸建て住宅の分譲販売と事業範囲を広げ、2000年からは新築マンションの分譲を手掛ける。2010年の上大岡駅前の再開発でデベロッパーとしても業績を挙げ、同年、世界的に有名なオークションハウス「サザビーズ」に起源を持つ不動産ネットワークを利用したクロスボーダー仲介事業に進出。2014年からは「リスト サザビーズ インターナショナル リアルティ」ブランドでアジア太平洋にグローバル展開。ハワイ、シンガポール、香港、フィリピンに続き、今秋にはタイにも展開する。

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