TOKYO BASE代表取締役CEO
谷正人
アパレル不況が叫ばれている中でも、衣料品のセレクトショップなどを運営する『TOKYO BASE』は目覚ましい成長を遂げている。総指揮をとるのは、現在35歳の最高経営責任者(CEO)の谷正人氏だ。日本発クリエイションを発信することを目指して、セレクトショップ『STUDIOUS(ステュディオス)』と、コンテンポラリーブランド『UNITED TOKYO』ハイエンドカジュアルブランド『PUBLIC TOKYO』を展開。どちらも若者から大きな支持を受けており好調に伸びている。今後は海外展開も積極的に行い、世界に日本ブランドや日本のモノづくりを発信していくと、強い意気込みを語る。アパレル業界の新星と呼ばれている男の時計選びには、彼のブランド戦略にも通じるものがある。
第1回「ブラしつつ、センタリングする時計選び」
広田:今回はアパレル業界の方からお話が伺えることを楽しみにしてきました。時計マニアの見方とは異なる、より一般的な時計の魅力について期待してます。
谷:そういわれるとちょっと困ってしまいます(笑)。じつは好みがかなり偏っていて、唯一の現行モデルは30歳の誕生日に買ったウブロだけなんです。僕はサッカーが非常に好きで、ウブロはサッカーのスポンサーをやっているし、比較的新しいブランドにも関わらず、わずかこの十数年で高級時計の代表格にもなったという点にも惹かれました。
広田:ウブロは時代感がありますからね。
谷:でも一番好きなのは、ロレックスのデイトナ6241、ポール・ニューマンです。2015年の上場時の記念に買いました。若い頃、ファッション誌に登場する人たちが着けていた姿に憧れ、いつか欲しいなと思っていました。
広田:いいですねぇ。
谷:もう一本のヴィンテージロレックスは、サブマリーナのいわゆるスモールクラウン。ボンドウォッチの廉価版ですね。
広田:5508かな。これもまたいい。
谷:その前にはサブマリーナのティファニー・コラボを持っていたんですが、リュウズガードが気になって、結局買い替えました。その他にもう1本、デイトナの6263があり、スーツを着る時などに合わせています。
広田:どれも稀少モデルですね。
谷:変わり種ではバンフォードも。香港にSTUDIOUSポップアップストアを出した時に、地元のレーン・クロフォードで見つけました。
広田:谷さんは早い時期からGショックとのコラボもしてますね。“値段だけじゃなくていいものもある”というスタンスで、多くの人も共有できるような価値感がベースなのでは?
谷:確かにそうかもしれません。ファッションの世界の人たちは、感度軸が5段階評価で5の人たちが多いんですよ。でも僕はどちらかというと4でいたい。大衆的なものに惹かれますし。
広田:確かに愛用する時計は飛び抜けていますけど、基本的には普通の人の感覚が残っているように思います。
谷:一瞬パテック フィリップも欲しいなと迷ったんですけど、何かこう違う。やっぱり時計が主役になっちゃいけないなと。でもいま持っている時計って、一般的な人たちからすればよく分からなくても、分かる人には着けているだけで名刺代わりになる。それが心地良いし、時計がきっかけになり、結果的にビジネスにつながるケースもあるんですよ。
広田:バランス感覚がとれていますね。谷さんの時計選びって、自分のセンスをブラしつつ、中心にセンタリングしていくみたいな感じがします。
谷:結構あまのじゃく的なところもあって。高級時計は素晴らしいと思うんですけど、ショーウインドウに並べられているようで表層的な感じ。だから値段とか背景とかに行く前に、ファッションとして単純に格好良いか良くないかというのは大事にしています。まず見た目ありき。
広田:それがずっと変わらないんですね。自分を誇張するための時計選びではない。基本は、自分に忠実ということで。
取材・構成 柴田 充
写真 奥山栄一
今回の対談に関してのご意見・ご質問をお待ちしております。ぜひコメント欄からご投稿ください。
広田 雅将
Masayuki Hirota
時計ジャーナリスト・時計専門誌『Chronos日本版』編集長
1974年大阪府生まれ。会社員を経て、時計専門誌クロノス日本版編集長。国内外の時計賞で審査員を務める。監修に『100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』『続・100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』(東京カレンダー刊)が、共著に『ジャパン・メイド トゥールビヨン』(日刊工業新聞刊)『アイコニックピースの肖像 名機30』などがある。時計界では“博士”の愛称で親しまれており、時計に関する知識は業界でもトップクラス。英国時計学会会員。
谷 正人
Masato Tani
TOKYO BASE代表取締役CEO
1983年生まれ、静岡県浜松市出身。中央大学商学部卒業後、2006年に(株)デイトナインターナショナルに入社。翌年事業部長としてSTUDIOUS業態を立上げて、2009年には同社STUDIOUS事業部 事業部長を経て退職、MBOにて独立。2009年に(株)STUDIOUS 代表取締役として事業開始。2015年3月新業態UNITED TOKYOを立ち上げ、同年9月アパレル業界史上最年少で東京証券取引所マザーズ市場に上場を果たす。2016年6月、株式会社STUDIOUSから株式会社TOKYO BASEへ商号変更。2017年2月に東京証券取引所第一部へ上場市場変更。2018年3月新業態PUBLIC TOKYOを立ち上げる。現在に至る。