第3回「今までにない画期的な腕時計を模索中」
広田:菊野さんのような、自らの手を使って時計を作っている作り手が、現代における機械式時計の意味についてどのように考えているかはとても興味深いです。
菊野:機械式時計がある意味とか、ずっと考えてはいましたが、ようやくちゃんと言葉にできるようになった感じですね。機械式時計の魅力って、科学と哲学が融合しているものであることだと思います。科学という観点で見た時計は、クオーツ時計でほぼ完成していると思います。たとえば、1,000円であんなに正確でクオリティも高いものが手に入る。これってもの作りの究極。効率や合理性を求めた時に、こんな製品はないですよね。一方でこうした科学の推移や進化に対して、今の人たちは感動しないじゃないですか。1,000円で買えるものなんて大したものじゃないよと。その科学で埋められない哲学の部分、そこがまさに手作業で時計を作る意味ではないでしょうか。だからクオーツが出た後に、あえて機械式時計に戻ろうという流れは、科学では説明はできない、哲学の世界だと思うんですよ。
広田:その考え方は一貫しているというか、ブレがないですね。僕個人は、手作業で作ることに関しては、やれることは機械でやればいいじゃんと思っている。でも菊野さんの場合は筋が通っている。話を聞いていて「あぁ、なるほどな」と正直思いました。
菊野:自分の中で筋を通せているから楽しいんだと思います。そこに何か矛盾を抱えながら時計を作っていたら、多分ちょっと複雑な気分になっちゃって純粋に楽しめない。
広田:ところでこれまで影響を受けた時計師はいますか。作り方や生き方もそうですし、反面教師でもいいんですが。
菊野:うーん、そうですね。デュフォーさんやダニエル・ロートさんの生き方を見て学んだ部分は大きいです。「時計ってひとりで作れるのか」「こんな美しいものをひとりで作るって滅茶苦茶面白そうな仕事だな」という感動や驚きがありましたね。
広田:なるほどね。でも奥様は、そんな独立時計師と結婚することにためらいはなかったんですか(笑)。正直なところ。
菊野:意外となかったみたいですけどね。ただ、想像よりもっと時計が売れると思っていたと言っていましたけどね(笑)。1年3か月くらいかけて作っても自分の中で至らないところがいっぱいあって、製品化しなかったんです。だからその年は、妻の貯金で凌ぐみたいな(笑)。本当に頭が上がらないですね。
広田:現在はやりたいことをやって、筋も通して。かつ手作業で作るという自分のスタンスは変えずにやってきて、完成度を上げてきた。今後、独立時計師としてどういうところを目指していきたいですか。
菊野:まず和時計をまた作ろうと思っているんですよ。不定時を表示するような。
広田:それは、不定時と定時が同時に見られる?
菊野:ええ。これまで作ったインデックスの間隔が不均等になる割駒式ではなく、インデックスは動かず、針のスピードが昼と夜でチェンジするというものです。
広田:それは画期的!来年ですか。
菊野:来年から開発開始くらいですかね。肝になるメカニズムのアイディアは浮かんでいるんですけど、それをどう小型化するかと、さらに鳴り物を連動させた、不定時法のリピーターを作ろうと思っていて。
広田:不定時法のリピーター!何ですか、それ?
菊野:恐らく今までにないんじゃないかなと思います。もちろん、腕時計では存在しません。
広田:それはまた滅茶苦茶ユニークですね。ところで菊野さんの時計のモチーフは、初期のすごくモダンなものから、段々“和”に傾倒していった印象です。どうして“和”にフォーカスしていったのですか。
Photography by ©MASAHIRO KIKUNO
菊野:やっぱり日本で生まれて日本で育って、日本のものを見てきたからですかね。それに尽きると思います。ヨーロッパの時計は、様式ができあがっているじゃないですか、ルールというものがあって。でもその枠の外にあるような価値観を提供したかったんです。手作業でやることもそうです。ヨーロッパでも50年〜200年くらい前のイギリスの時計は、割と分業で手作業だったんですが、それがスイスとアメリカに渡って機械で量産するようになり、イギリスの伝統的な手作業は消えちゃったわけです。だから手作業でひとりでコツコツ作るという時計作り自体は、スイスの伝統ではないんですよね。だから、それにプラスアルファ日本的な、あまり見たことのない日本独自の素材や技法や時間の考え方を具現化することで、ヨーロッパの今までの価値観からもちょっと異質なものを作りたいと思って、こういう形になっていったということでしょうか。
広田:最初からそれを目指していたんですか?
菊野:段々そうなっていった印象です。最初は本当に時計が作れればいい感じで、できれば楽しみたいぐらいの単純なことだったんですけど。それでも徐々に自分の中で、スタイルが固まっていったという感じですかね。
広田:なるほどなぁ。年間3本という生産数も稀少ですが、そこに注がれる菊野さんの時計づくりへの姿勢も現代においてとても価値があると思います。その情熱がさらに機械式時計の可能性を拓き、伝統を未来に受け継ぐ。そんな次回作への期待を含め、今後のご活躍を楽しみにしています。今日はありがとうございました。
取材・構成 柴田充
写真 奥山栄一
<ページトップ写真の時計>
リピーター機構とオートマタを腕時計に搭載した「折鶴」(2013年)。
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広田 雅将
Masayuki Hirota
時計ジャーナリスト・時計専門誌『Chronos日本版』編集長
1974年大阪府生まれ。会社員を経て、時計専門誌クロノス日本版編集長。国内外の時計賞で審査員を務める。監修に『100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』『続・100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』(東京カレンダー刊)が、共著に『ジャパン・メイド トゥールビヨン』(日刊工業新聞刊)『アイコニックピースの肖像 名機30』などがある。時計界では“博士”の愛称で親しまれており、時計に関する知識は業界でもトップクラス。英国時計学会会員。
菊野 昌宏
Msahiro Kikuno
1983年北海道生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊に入隊。2005年に自衛隊除隊後、ヒコ・みづのジュエリーカレッジに入学して時計づくりを学ぶ。卒業後も研修生として自身の作品を製作。同校講師を経て2012年に独立。2011年、スイスの独立時計師協会(AHCI)に日本人で初めて準会員として入会。世界最大の宝飾と時計の見本市「バーゼル・ワールド」に初出展。2013年、AHCI正会員。 https://www.masahirokikuno.jp/