リストグループ 代表
北見尚之
地域密着を重んじる不動産会社として、バブル崩壊後の1991年にスタートしたリスト株式会社。「関わるすべての地域・人々に満足を超えた感動を提供したい」という理念のもと、設立当初から現在に至るまで地域貢献活動を積極的に行い、地域とともに成長することを目指している。現在は不動産仲介から、注文建築を含めた戸建て分譲、マンション分譲、不動産管理、アセットソリューション、そして都市開発と事業を広げ、今は世界の不動産事業へと拡大。2010年にはサザビーズの高級不動産仲介ブランド「サザビーズインターナショナルリアルティ®」の日本での独占営業権を取得。2016年にはホールディングス経営に移行し、不動産に関する開発・建設・販売・仲介・資産/施設管理・証券化など、総合不動産会社へ展開。ハワイやシンガポールなど、グローバル進出も積極的に行っている。
第1回「信頼を得る時計から、自分の顔になる時計へ」
広田:北見さんは、どういうきっかけで時計を好きになったのか、まずその辺りから伺えますか。
北見:90年代初めに独立した頃、ロレックスの「サブマリーナ」を買ったのがいまに到っています。当時は年に1本ずつ買っていたんですよ。
広田:不動産という仕事において、お客様の信頼を得る上で時計というのはひとつの道具になり得るのでしょうか、時計の趣味はそういう意味合いもありますか。
北見:それもありますね。今日はリシャール・ミルを着けていますが、普段はこういう時計はしません。ロレックスだったり、あとはたまにフランク ミュラーですね。
広田:確かにビジネスではロレックスの方が信頼できるかも。質実剛健というか。最初のロレックス以降、ほかにはどういうブランドを?
北見:カルティエの「タンク」とか、スーツに似合うような落ち着いた時計を買いましたね。
広田:非常に順当な、時計の楽しみ方ですね。サブマリーナでは足りない部分をカルティエでカバーするというように。
北見:それから傾向が少し変わったのが、40歳後半になってからですかね。やっぱり人生の折り返し地点じゃないですけど、少し重みがあるものがいいかなと思って。その中でビジネスにも使えて、派手でもないと思ったのがフランク ミュラーの「トノウ カーベックス トゥールビヨン」です。
広田:かなりマニアックな時計にいきましたね(笑)。
北見:じつは僕も最初トゥールビヨンの意味が分かっていなかったんです(笑)。それでもいろいろ教わって、ひとつぐらい複雑機構を持っていてもいいかなと思って。
広田:機能的にはクロノグラフや永久カレンダーなど、他にも色々あると思うんですが?
北見:好みはダイバーウォッチなんです。
広田:スポーツ系ですよね。ますますトゥールビヨンに向かった理由がわからない(笑)
北見:まず手巻きも新鮮でしたね。扱いも乱暴にできないし、結構神経使いました。
広田:それを手間と思われました? あるいは新しい時計の楽しみと思われました?
北見:もちろん楽しかったです。手でゼンマイを巻くことで、自分で時間を入れるという感覚が非常にいいなと感動しました。これで時計に開眼したようなものです。
広田:40代は趣味が充実するだけでなく、ビジネスでも成長する転機ですね。
北見:ちょうどその頃、海外展開を始めました。1991年に横浜を拠点に仲介業から始めて、マンションデベロッパーでやってくるうち、日本の不動産だけではなく、海外の資産価値のある不動産の売買や開発をしていくことを目標にしました。海外に展開していくにあたって、時計はやっぱりひとつの顔になっていくじゃないですか。そういった意味でもフランク ミュラーはよく使いましたね。
広田:初対面の外国人にも分かりやすいですからね。その点、スーツや靴では高いものはいくらでもあっても、パッと見た時に違いが分かりにくい。
北見:以前は時計も消耗品という感じだったんです。それが資産になってくるというか、価値を見出せるものと感じたのが、その頃だったと思います。
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広田 雅将
Masayuki Hirota
時計ジャーナリスト・時計専門誌『Chronos日本版』編集長
1974年大阪府生まれ。会社員を経て、時計専門誌クロノス日本版編集長。国内外の時計賞で審査員を務める。監修に『100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』『続・100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』(東京カレンダー刊)が、共著に『ジャパン・メイド トゥールビヨン』(日刊工業新聞刊)『アイコニックピースの肖像 名機30』などがある。時計界では“博士”の愛称で親しまれており、時計に関する知識は業界でもトップクラス。英国時計学会会員。
北見 尚之
Hisashi Kitami
リストグループ 代表
1965年、神奈川県生まれ。専門学校在学中に大手企業の社長と出会い、企画開発担当として支店の開発を任される。支店とする物件を探す中で、不動産業界の在り方に疑問を感じて、その後を見据えて大手不動産会社へ転職をして営業としての経験を積む。1991年25歳の時に、リスト株式会社を設立して不動産仲介事業を開始。ビルマネジメント、一戸建て住宅の分譲販売と事業範囲を広げ、2000年からは新築マンションの分譲を手掛ける。2010年の上大岡駅前の再開発でデベロッパーとしても業績を挙げ、同年、世界的に有名なオークションハウス「サザビーズ」に起源を持つ不動産ネットワークを利用したクロスボーダー仲介事業に進出。2014年からは「リスト サザビーズ インターナショナル リアルティ」ブランドでアジア太平洋にグローバル展開。ハワイ、シンガポール、香港、フィリピンに続き、今秋にはタイにも展開する。