第2回「一歩先を行く時計に、追いつこうと思えるか」
広田:外したものを選ぶというのは、選択眼に自信がないとできません。平野さんの時計選びは「自分が好きだからこれでいいでしょ」みたいなのがはっきりしていて、すごく筋が通っていると思います。
平野:そうかもしれないですね。同じお金をかけるならば、誰もが認める時計を選ぶ方が多いと思うんです。別に嫌いじゃないんですけど、あんまり僕はそういう選択はしないかもしれないですね。
広田:その基準とは何なのでしょう。
平野:時計を通じて自分に自信が持てるものを選んでいるかもしれません。一番最初に買った「デイトナ」は、当時80万円ぐらいでしたが、若造だったので買うにも勇気が必要で、でもこれを身に着けて俺はもっと大きくなっていくんだ、これ以上のものを買えるようになるんだと思いながら買ったのを憶えています。そして身に着けた瞬間、自分に自信が持て、ちょっと強くなったような感覚を得たんですよね。いまでも、この時計をしているんだからそれに負けないくらいステイタスを上げていかないとと思えるものがいい。一歩先を時計が行ってくれ、それに自分が追いつかなきゃと思うような。だからたとえ自己主張が強くても、周りから「すごいね」「格好いいですね」「いい時計ですね」と言われやすいものを選んでいるのかもしれないですよね。
広田:いまの平野さんでも、この時計を着けたから背伸びして上っていかなきゃみたいな思いはお持ちなんですか。
平野:ありますね。たとえばリシャール・ミルなんかは、着けていること自体に「この人はリシャール・ミルを着けられる人なんだ」という暗黙の了解があると思います。それに相応しい、見合うだけの実力を自分がつけておかないと時計に負ける。それも経済力以外の権力だったり、名声だったり、最終的にはトータルな人間性まで相応しくならないと多分バランスが悪くなっちゃう。「この人、お金は持っているけど格好悪いよね」と言われたくないし。
広田:僕も若い人たちには、ちょっと背伸びをした時計を買ったらいい、時計に負けないようになればいいんじゃないかという話をさせていただくことがあります。大先達である平野さんがそうだったら、若手の経営者にとってはすごく励みになると思います。
平野:僕は時計のコレクターではないので、そういう意味では、時計は余力のある中で買っているんですね。心の余裕も含めて。そこで少し背伸びしている時計を買う。それに見合うようにもうちょっと頑張ろうとか、ワンランク上のものを選べるようになろうとか、そういう風に思っているんですね。
広田:そのバランス感覚が非凡だと思います。のめりこまず、適度な距離感を守っている。
平野:ものに固執しないんでしょうね。時計であれクルマであれ、いいものには触れたい。ただそのものに負けたくないという思いと、固執しすぎないという気持ちがずっとあります。ものは大事ですけど、それ以上に人の気持ちや心を大事にしていかなきゃいけないし、執着しすぎると、結局見失っちゃうんじゃないか。だからこだわりすぎず、自己主張もしていきたい。もしかすると時計にもそういう一面が出ているのかな。
広田:自己実現のツールのひとつとして時計がある。
平野:そういうことなのでしょうね。
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広田 雅将
Masayuki Hirota
時計ジャーナリスト・時計専門誌『Chronos日本版』編集長
1974年大阪府生まれ。会社員を経て、時計専門誌クロノス日本版編集長。国内外の時計賞で審査員を務める。監修に『100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』『続・100万円以上の腕時計を買う男ってバカなの?』(東京カレンダー刊)が、共著に『ジャパン・メイド トゥールビヨン』(日刊工業新聞刊)『アイコニックピースの肖像 名機30』などがある。時計界では“博士”の愛称で親しまれており、時計に関する知識は業界でもトップクラス。英国時計学会会員。
平野岳史
Tomoyoshi Nishiyama
フルキャストホールディングス 取締役会長
1961年神奈川県生まれ。神奈川大学経済学部卒業後、金融関係の会社に就職したが3年で退職。その後アルバイト生活を送るが、87年に家庭教師の派遣ビジネスで起業。92年に株式会社フルキャストを設立し、軽作業請負事業を開始。04年9月東証一部上場。その後は取締役会長に就任し現在に至る。